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「日本は良い国だよ。生活保護すぐくれるから。」そんなケニア人に出会ったとき、僕の正義感は少し揺れました。
こんにちは。近頃日本の政治が面白いなと思います。
現在日本にいない僕には真相のほどはわかりませんが、ネット上では外国人に対する規制強化を求める投稿を多数見かけます。SNSでは僕が好んだものがより多く表示される傾向にあるので、たんに偏った情報のみ目にするだけかも知れませんが。
旅をしているとたまに日本語を上手に喋る外国人に出会います。今回は東アフリカのケニアで出会ったアフリカ人男性(推定50歳くらい)の思い出です。
ケニアで出会った日本在住アフリカ人男性の思い出
「こんにちは。日本人?」ケニアのモンバサという第二の都市を歩いているとき話しかけてきた男は日本に20年間ほど住んでいたと言い、日本人の妻との間に子供がいると言っていた。
日本語使って日本人相手に観光ガイドをやっているらしく、ガイドしてあげるよと言われたがお金もないし、断った。彼が売りつけようとしていた大◯も相場より少し高かったし。
日本めっちゃいい国だよ
彼はしきりに「日本めっちゃいい国だよ」と言っていた。
「生活保護すぐくれる。13万」、「役所に俺友達いる。申請したらすぐお金くれる」と生活保護を貰っているらしかった。
アフリカ人はアフリカ人として頭が良い
おそらく、日本人の多くは日本人を賢いと思っており、アフリカ人のことを馬鹿な途上国の土人だと思っているのではないだろうか。
頭の良さや、頭の使い方というのは実に多様でありアフリカ人はバカでは決してないというのが僕の思うところである。単に文化的に違いがあるだけである。
例えば、海外旅行先で人に騙され易い国として日本人はトップクラスだろう。人が良い、人を疑わない、簡単に信用する傾向が強い日本社会は住みやすい良い国だと思うが、騙し騙されあって生きているような人達の世界ではマヌケなお人好しである。
彼が生活保護を受給するのもシステムを利用して生きているだけで、彼に悪気など微塵もないのである。
もちろん、この話はただの一例であり同じようなことをしている日本人はもっと沢山いるだろう。外国人だけが悪いわけではない。
道徳観の違い

僕が感じたのは「正しさ」の基準が違うということだった。
日本では、生活保護を受けるというのはどこか「恥ずかしいこと」「努力しなかった人の末路」というように見られがちだ。だから日本人は制度があってもなかなか利用しようとしない。
一方で、彼にとってそれは「当然の権利」だった。制度が存在しているのだから使う。それが悪いことだとは考えもしない。むしろ、知っていて使わないほうが愚かだという感覚なのだ。
この考え方の違いは、アフリカ人と日本人の間にある「道徳観」や「社会観」の差そのものを象徴しているように思う。日本では集団や社会との調和が優先されるが、アフリカでは個人の生存と権利が第一にくる。どちらが正しいという話ではなく、背景が違うのだ。
正義感のズレ
僕自身、彼の話を聞いたときに正直、アンフェアだと感じた。日本人が納めた税金で、働いていない外国人が生活していると考えると、感情的には納得できない。
しかし同時に、彼は制度を悪用しているわけではない。彼なりにルールの中で生きているだけなのだ。むしろ「日本はそういう国だ」と理解し、適応しているとも言える。
問題の本質は、彼のような個人ではなく、制度設計の側にあるのかもしれない。誰が、どこまで、どんな条件で支援を受けられるのか。制度を維持する社会の意識もまた問われている。
異文化との出会いが教えてくれること
旅をしていると、自分の「常識」がどれほどローカルなものかを痛感する。アフリカで出会った彼のような人に出会うたび、「正義とは何か」「倫理とはどこまで共有できるのか」を考えさせられる。
結局のところ、どの社会にも抜け道はあるし、それを使うかどうかの判断基準は文化によって異なる。大切なのは「自分ならどうするか」を問う姿勢なのだと思う。